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2011年4月

2011年4月28日 (木)

大田区長、区議会選挙に勝利

2011年4月27日

4月24日投票、25日に開票された区長選挙では、松原忠義現区長が14万181票で、2位に約10万票の差をつけ堂々と圧勝させて頂いた。
1期4年の実績がしっかりと区民に評価されたとともに、東日本大震災への支援をスピーディにに行ったことへの区民の信頼は絶大なものだった。

区議会選挙では、17人の自民党候補のうち16人が当選。
4人の新人は全員当選。
その中で海老沢圭介さんの3822票で23位当選は立派だった。
事前に行った各地区での集会がこうを奏した勝利である。

反面、矢口地区から2期目を目指した鈴木やすふみ候補は、病気で入院したため普段の活動が十分出来なかった事が敗因だろう。
捲土重来を期してほしい。

投票率はは前回より低い43.29パーセントで自民党17人が頂いた票は7万6040。
公明党の12人の4万5924票。
保守系無所属3人の7078票を足しても12万9042票だから、いかに松原忠義区長が大田区民から幅広い支持を頂き圧勝したかがわかる。

民主党15人の得票は3万8730票。
前回より1人減らして5人が当選した。

今回、台風の目と見られたみんなの党の区長候補の得票は2万8867票で、5人立てた候補者の得票は1万4542票。
1万4325票の支持団体の支援があったと考えられる。

共産党の区長候補は2万2287票獲得し、区議会に9人立て全員当選。
3万1713票獲得し1人議席を増やした。

みんなの党のブームは起きず、確実に普段から地道に活動している候補者が当選した。
私は松原忠義区長選対の筆頭副本部長として、全力で区長と自民党公認候補の全員当選目指して闘った。
松原区長が当選を決めたマスコミへのインタビューで語ったように、地域力向上と羽田空港空港の国際化と跡地の活用を起爆剤に、東日本大震災の被災地を支援する為、大田区がその突破口になってもらいたい。

私も東京都政から引き続き松原区政を全力で支援していきたい。
平成25年7月の都議選は、大田区は定数減が予想され、気を引き締め日々取り組んで行きたい。

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2011年4月18日 (月)

評価は後から付いてくる

2011年4月15日

参議院は午前の本会議で、東日本大震災に対する国際的支援に感謝する決議を全会一致で採択した。
午後の本会議で衆議院は文案の調整がつかず先送りしたとのこと。
西岡参議院議長は菅総理に退陣を促し、福島県選出の民主党国会議員も公然と退陣を求め始めた。

そんな中、政府が月内に新設する復興本部への参加を国民新党の亀井代表に持ちかけられた自民党の谷垣総裁は拒否していたと聞く。
ちょっと違うんじゃないですか、谷垣総裁。

結果が気になるのは、なすべきことをすべてなしてないからである。とは、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんの言葉である。
実力以上に、自分をよくみせたい。という欲は、決していい方には働かない。
とにかく、100パーセントの準備をして舞台に臨もう。
結果や評価は後から付いてくる。との三津五郎さんの言葉を谷垣自民党総裁に贈る。

民主党は信じられない。
だが、自民党も期待できない。という声を町でよく聞く。

統一地方選挙第2ラウンドである、区議、区長選挙はいよいよ17日から始まる。
石原慎太郎都知事の圧勝は、災害対策本部長としての強いリーダーシップとスピーディな行動にあった。

この勢いを24日に繋げるには、谷垣総裁の決断と実行と協力が求められている。
東日本の被災地の皆さんを失望させてはならない。
評価は後から付いてくる。

狂犬病の注射

2011年4月14日

我が家の4番目の娘シェルティのオリーブは13歳。
人間なら80歳をこしている。
5番目の娘ミニチュアダックスのチョコチップと、今日は狂犬病の注射に連れて行った。

チョコはあっという間に注射は終わったが、オリーブは最近せき込んでおり、診察の結果、心臓が弱っており、注射はしないこととなった。

長男が生まれた年に我が家にやってきたオリーブ。
子ども達の成長を見守りながら我が家の歴史を見守ってきた。
これからは、日だまりの中で、のんびりと暮らしてもらいたい。

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2011年4月13日 (水)

都議会自民党総会

2011年4月12日

39人めの仲間である、小宮あんり新都議を迎え、室内は節電で照明は薄暗いが、久方ぶりに明るいムードに包まれた。

大勢のマスコミとカメラに囲まれて総会室に現れた石原慎太郎知事は、内緒の話しがある。とマスコミを締め出して、この度の都知事選挙を振り返り、自民党の強力な出馬要請もあり立候補を決意し、しっかりと支援していただいたことで災害対策本部長として仕事に専念できた。引き続き、ともに頑張ろう、と挨拶された。

その後出席した都議一人一人とがっちり握手。
私は、頑張りましたよ。と知事に声をかけると、お前太ったな。と言われた。
私は、実力がつきました。と答えたが、内心、節制を続けてきた生活が選挙で崩れたことが悔しかった。
まあ、石原大勝利で、ダイエットはゼロからのスタートだ。
家に帰り、妻にそのことを話すと、意志が弱いのよ。と言われ、その一言のほうがショックだった。

握手が終わり知事は退席され、再び総会が再開されたが、私は胸にこみ上げる思いで眼をふいた。
石原流で私をねぎらってくれたことに。
この知事の言葉は、私を支えていただいている皆様へのねぎらいの言葉でもある。
スリムは健康の源。
17日から始まる区議.区長選挙は、痩せる思いの大変厳しい戦いになることは間違い無い。

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2011年4月11日 (月)

都知事選

2011年4月10日

開票と同時に当選。
自民党東京都支部連合会で石原のぶてる会長がNHKで勝利宣言。

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NHKの当確をうけ、自民党東京都連石原のぶてる会長が、だるまに目をいれる
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選挙事務所で両面のはいったダルマ
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南青山の選挙事務所で各テレビのインタビュー受ける石原慎太郎知事
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杉並区都議補欠選で見事当選をはたした小宮あんりさんに、お祝いとお礼の挨拶をする石原のぶてる りさ夫人
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新井宿義民六人衆顕彰会335 年報恩感謝祭

2011年4月10日

5年ぶりのパレードは、東日本大震災から中止となったが法要は予定どうりおこなわれた。

新井宿義民六人衆とは、間宮新五郎はじめとする農民の代表6人のこと。
江戸時代初期、干ばつや冷害、多摩川の洪水により凶作が続き餓死者が続出したため、年貢軽減の訴状を領主木原氏に届けたが受け入れられなかった。
間宮新五郎はじめ農民の代表6人が密に熊野神社に集まり19条の訴状を作り、将軍綱吉が上野寛永寺に参拝する時に直訴しようと相談したが、密告により領主によって斬首された。

その後、年貢は軽減された。
善慶寺19世日宣上人20世日応上人のはからいで、のりがめに遺骨は集められ、ねんごろに埋葬された。
延宝8年慰霊の為題目講碑が建立され、その後、ねぎぬた供養として、新井宿の村人の心の中に、しっかりとその志が語り継がれてきた。
それが今日も顕彰会として供養されている。
平成9年には、善慶寺で全国義民顕彰会の創立総会が行われた。
義民六人衆の志に、私は政治家としても原点をみる。

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義民六人衆の遺骨が納められた、のりがめ
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選挙関連

2011年4月9日

『東京都知事選挙最終遊説、東日本復興支援集会』

最初で最後の街頭演説を石原知事が有楽町駅前で行い、1600人が熱心に耳を傾けた。
どんよりとした空も何とか泣き出さずに加勢してくれた。
足立区で発生した既に亡くなった106歳の親の年金を不正需給してきた子どもの話を知事は繰り返し話してきたが、この日もこの話から切り出し、このままでは日本は滅びる。
もう一度みんなで、東京からこの国を立て直そうと訴えた。

明日は投票日。
そして夜9時には大勢が判明する。
東日本大震災が発生し、10年後の東京を創る設計図も修正が必要となった。
そして、毎年国に召し上げられている3000億円を取り返し、復興を支援し、マグニチュード9を想定した震災から東京を守る為、引き続き石原知事とともに、私も全力で頑張ろうと思う。

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◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

2011年3月24日

『東京都知事選挙告示』

午前11時南青山の石原慎太郎知事の選挙事務所で出陣式が行われた。
500人の支持者を前に、まず東京都医師会会長で、この度選対本部長をお務め頂いた鈴木先生が、かつて鳥インフルエンザが流行した時の石原知事のスピーディーな対応をあげ今こそ、危機管理に強いリーダーを、そして、石原知事には私たちの希望が見えると訴えた。

石原知事は、防災服姿で、東京の運命を背負って頑張る。
日本の頭脳であり、ダイナモである東京をバラバラにする事はできない。
選挙をやってる場合ではない。
被災地の救援に全力を上げる。
と第一声を放ち、大きな拍手が起きた。

石原知事は、このあと17時から放射性物質が検出された金町浄水場に行き、現場から水道水を飲み、生活用水として問題ないと訴え、放射性ヨウ素が1キログラム当たり79ベクレルで基準値を下回ったことから、都民に冷静な対応を呼びかけた。

明日は、福島県庁を訪れ知事に見舞金を手渡す。
福島県、宮城県、岩手県に1億5千万円の見舞金を役立ててもらう。
石原知事は都政の先頭に立ち、東京から被災地を、そして日本を救うべく奮闘している。
私も、明日25日朝、被災地に、バナナやみかん、下着や生理用品などの物資を届ける為、ドライブネットの片倉社長と出発する。
私の大学時代の後輩の清水福島県議会議員の地元いわき市のボランティアセンターを激励に行ってきます。
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2011年4月 7日 (木)

大森東小学校 平成23年度入学式

2011年4月6日

男子5人女子20人。
東小の1年1組は25人の新入生をむかえた。
とにかく元気な子どもたちだ。

校長は、大森第3小学校から野村洋子校長先生を迎えた。
来年1月には開校30周年記念行事を行うことから、ベテランの即戦力として大歓迎だ。

青空も海原も 世界へつづく 潮風のまちよ みどりのまちよ 呼び合い 助け合う友がいて 日ごとの 笑顔に愛は かがやく (校歌)

東日本大震災の年の入学式、忘れられない式となった。いや、忘れてはいけない式となった。

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2011年4月 1日 (金)

羽田空港アンジュ保育園入園式

2011年4月1日

開園5年目、アンジュ保育園は10人の新入園児を迎えた。
在園児45人を加えても定員であと15人を受け入れることができる。

私は祝辞で、羽田空港は国際化で街となった。
深夜早朝までという長時間保育はもちろんのこと。
特色ある保育をしているアンジュ保育園を父母の皆さんも大いにピーアールしていただきたい。と挨拶した。

中庭の園庭の遊具で遊びながら、世界に飛び立つ飛行機を子供たちは毎日見ている。
新年度から英語遊びも始まる。
認証保育園は、認可保育園にはいれるまでのつなぎではない。

素晴らしい保育、子育てをしている認証保育園を都議会自民党の子育て部会長としても、しっかりと支えていきたい。

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飛行機を見ながら遊べる園庭
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別れ、送る言葉

2011年3月31日

今日は平成22年度最後の1日。東京都の職員も移動の日である。
議会にも、明日4月1日から新しい局の部署に移動の挨拶に訪れる。
東日本の復興、東京の安全.安心を守る為に、部局を超えて都民の期待に応えてもらいたい。

さて、地元の二つの学校でも校長先生が移動、退職された。
お一人は、私がPTA会長を勤めた大森東小学校の校長。
来年は開校30周年を迎えるが、祝賀会の体制づくりにご尽力頂いた。
感謝である。

いつも冷静沈着、決断力のある先生だった。転任される小学校でも更なる活躍をお祈りします。
もうお一方は、都立美原高等学校の校長、私の高校時代の恩師である
。ご自身体育の教師であり、美原高校では、和太鼓部、女子バレー部、弓道部と数々優勝に導いた。

ほんとうにお疲れ様でした。
まだまだ現役。
民間からアドバイスよろしくお願いします。

現場を預かる最高責任者の責任は重い。
学校管理者が学校経営をしっかりとしていただけるよう、私たちは議会から発言していく。

夢は夢にあらず。
夢を抱き夢を信じ夢に向かって生きる。

そんな生徒、児童を育ててほしい。それでこそ、教師の本懐ではありませんか。

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