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2011年8月 2日 (火)

政務調査会長の就任

2011年8月2日

8月1日の都議会自民党総会で政務調査会長に就任した。
役員会で今後のスケジュールを協議し、本来なら知事室を訪ね石原知事はじめ副知事に挨拶に出向くのだが、夏風邪でこの日は公務をキャンセルした為、役員室に佐藤、村山副知事が挨拶にみえた。

その後、各党へ挨拶廻り。
都庁記者クラブで三役代理代行7人で記者会見。
次いで東京消防庁総監、警視庁総監を挨拶に訪ね、15時45分議会に戻った。
宮崎幹事長に父の葬儀の準備もあるだろうとお気遣い頂き、この日は帰らせていただいた。

私の父は昭和2年4月22日、目黒区下目黒に生まれた。
家業は大正時代、祖父が大鳥神社脇で始めた古書店の鳳書房である。
戦後疎開先であるふるさと山形県上山から戻り、目黒駅前の上大崎で鳳書房を再開。
戦地から帰った父も家業を手伝った。

平成1年、都道の拡幅で東急線学芸大学駅前に店を移し再開、平成12年で鳳書房を71歳で閉じた。
家業を継がなかった私は親不孝者である。
しかし、父は一度も家業を継げとは言わなかった。
私が日大雄弁会時代から政治家を目指していることを分かっていたのだろう。

父は、家業の傍ら品川の消防団の部長を務め、地域の防災活動にも力を入れた。
神田の東京都古書組合や南部古書組合の理事を務めた。
家族を大事にした父親だった。
私は店に立つ父の背中を何時も見て育った。

子煩悩な父は、色々な所へ、家業を祖父に任せ姉や私や弟を連れて行ってくれた。
春はハイキングや山登り。
夏は多摩川で水遊びや海水浴。
秋は上野の美術館。

実は自分が行きたい所へ付き合わされていたのかもしれない。
そんな父が大好きだった。
が、子供の頃はとても怖かった。
祖父の通夜ではしゃいだ私は、その当時、家の床の下にあった縁の下に押し込められ、その上に踏み台を載せ自分が腰掛け日が変わるまで説教された。

そんな父も私が大学に入ってからは大人として認めてくれた。
カメラと美術展覧会巡りが趣味だった。
休みはとにかく外に出かけるのが好きだった。

昨年10月、家で熱中症と脱水症状で倒れるまで毎朝、目黒不動尊と大円寺にお参り散歩するのが日課だった。

昨年の夏休み、母や姉と伊豆長岡に旅をした。
一緒に露天風呂に入り、背中を流した。
父の背中はふっくらして洗いやすかった。
父は、洗い流すと、ありがとうと言ってくれた。
その後うしろを向けと言い、今度は私の背中を流してくれた。
父の父としての父らしさを感じた最後の時、だったと今思う。

そんな父の葬儀を明日、目黒区下目黒の大円寺で執り行う。

寂しい。
つらい。

宮崎幹事長から29日昼、電話で都議会自民党の政調会長を頼むと電話を頂いた。
視察先の東大和から急遽新宿に戻り、打合せ中に、はなクリニックの主治医から電話があった。
直ぐにと。

午後6時。
駆けつけたが間に合わなかった。
父の身体は温かった。
とても穏やかな顔だった。
享年84歳。

父に報告した。
8月1日都議会自民党政務調査会長に就任します、と。
父は私に頑張れと言ってくれた。
私の心にはそう聞こえた。

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