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2022年2月

2022年2月19日 (土)

町田市長選挙最終日。よしわら修候候補最終遊説!

2022年2月19日
町田市長選挙最終日。都議会自民党総力をあげて、よしわら修候補を応援。

「市政一新!」

激戦です。

町田の未来を「よしわら修」に託してください!

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2022年2月18日 (金)

ほしのこグループの児童発達支援事業、放課後等デイサービス事業を視察

2022年2月17日
今日は、「ほしのこグループ」の児童発達支援事業、放課後等デイサービス事業の現場を見せて頂きました。

児童虐待や不登校の子どもたちにも連休であろうと休み無く対応して頂いてました。

未就学児童から中学生まで、自立する。働いていける。
そんな目標と理念を感じました。

そして、「お帰り。ただいま。」
職員の皆様と子どもたちの家族のような触れ合い。
ひとりひとりを大切にする姿、言語心理士や臨床心理士はじめ職員の皆様の熱意をひしひしと感じました。

塩野目先生と連携して応援させて頂きます!

星野二郎社長(株式会社スター・フィールド)の投稿をシェアさせて頂きます。

オミクロン高止り???
とは言え連日1万5千人を超える陽性者。

日々、保護者や児童の陽性や濃厚接触の連絡。
学校、保育園、幼稚園の臨時休校や休園の連絡が続く。

現場は大混乱の中、児童には余計な不安を与えない様に職員達が疲労困憊になりながらも施設の継続や切れ目の無い支援を目指し頑張っているが…。

行政は利用者の権利、質の担保!!
人集めて教室開けろ!っと声高に威圧的にうけとられど。

飲食と違い開けても閉めても人集めても集めなくても何の保証や支援はない。。。

福祉人にも家族や生活があるのにな。

療育施設は継続運営や福祉の根幹を揺がす危機的状況。

そんなおり、区議会や都議会が最も忙しい定例会中にもかかわらず、大田区選出の都議会自民党の鈴木 あきまさ都議会議員区議会自民党の塩野目正樹区議会議員 が現場を視察に来て下さいました。

コロナ禍における、児童虐待、困窮問題、人員不足問題、不登校問題、様々な児童に直結する課題についてお話をする事が出来ました。

現場が1番困ってる時に行動で示してくれる方は信頼できますね。

それも上っ面だけでなく時間をかけて全事業所を回って現場の確認、児童との直接対話。
熱い気持ちが伝わりました。
ありがとうございました。

大田区ほしのこグループ全体ミーティング!

zoomでの開催となりましたが職員からも活発な意見や情報共有があり職員のコロナ禍だからこその熱い気持ちと本気で児童や仲間を思う意識が伝わり嬉しくなりました。
会社も皆んなを守る為に頑張ります。

定期検査も職員全員が陰性で更に安心。

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2022年2月17日 (木)

町田市長選挙5日目。よしわら修候補。今日も全力で訴えます!

2022年2月17日
町田市長選挙5日目。
よしわら修候補は、小田急線町田駅北口で朝の街頭演説からスタート。

「ワーク.ライフシティ町田」50万都市実現を目指して連日力強く訴えてます!

町田市長には「よしわら修候補」を宜しくお願いします!

私たち都議会自民党は有志の会を立ち上げ、全力で応援しています!

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2022年2月13日 (日)

町田市長選挙出陣式

2022年2月13日
都議会自民党は、町田市長選挙に立候補した「吉原おさむ候補を支援する有志の会」を立ち上げました。

今日は、三多摩の議連と都議会OB会と共に神事と出陣式に参加しました。

吉原候補と同期ということで有志会を代表して、「石原都政、小池都政で都議会自民党の幹事長を2回務めた吉原候補。守りも創ることも、攻撃することも出来る私たちのリーダーでした!」と応援演説。

自民党都議会議員、OB一致団結して吉原おさむ候補の当選に向け全力で応援して参ります!

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2022年2月11日 (金)

建国記念の日奉祝行事奉祝式典

2022年2月11日
本日は明治神宮会館で開催された「建国記念の日奉祝行事」(日本の建国を祝う会大原康男会長主催)の奉祝中央式典に出席しました。

先に、参道に残る雪を踏みしめ明治神宮を参拝。

神宮代々木の森は冷気と透き通った空気で、とても神秘的に感じました。

田中和徳自民党幹事長代理をはじめ祝辞があり、令和四年建国記念の日奉祝中央式典決議を採択しました。

「(略)ここに我々は、輝ける日本の未来を力強く切り拓くべく、神武建国の精神をあらためて回顧し、政府主催による奉祝行事の挙行をあらためて求めるとともに、美しい日本の国づくりに邁進することを誓う。」

令和四年は、皇紀ニ六八二年。
日本が生まれた日をお祝いしました。

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2022年2月10日 (木)

旧き友、遠方より来る!

2022年2月10日
旧き友、遠方より来る。

母校日本大学法学部から2019年オーストラリアメルボルン法律大学に留学した金子君がお休みを使って帰国し、私の事務所を訪ねてくれました。

日大雄弁会の後輩でもあり、私の仕事をインターンとしてお手伝いもしてくれました。

現在は、オーストラリア大使館でインターンをしているとのこと。

今後は大学を今年の秋に卒業した後、メルボルン州の司法試験を受け弁護士として働きたいとのこと。

爽やでバイタリティある優秀な若者です。

コロナ禍にあるメルボルンでは、10ヶ月間ロックダウンされ日常の生活もままならなかったそうです。

許可無く外出すると罰金30万円が課せられたといいます。
今はウィズコロナの状況となり、市民はほとんどマスクは付けていない。
それでも、レストラン等は今も「陰性証明」を見せないと入れないそうです。

まだまだコロナとの戦いは全世界で続きますが、日本の優位な若者がコロナに負けず世界中で活躍してもらいたいですね。

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2022年2月 6日 (日)

お風呂の日

2022年2月6日
2月6日は「お風呂の日」と言うことで、流離いの銭湯博士よっちゃんと活動開始。

よっちゃんは川崎市と京急のコラボ銭湯スタンプラリーに参加していますが、川崎駅の観光コーナーで記念品をゲットしました。

今回は、川崎駅から無料送迎バスのある鶴見区獅子ケ谷のスパ・リブール横浜を選びました。

入浴料は1518円。
館内着に着替え、いざ露天風呂の黒湯へ。
サウナ、炭酸泉とタップリ楽しみました。

コロナ禍もあり、客も少なく無言の入浴となりました。
孫も連れてファミリーで、もう1度訪れたいと思う施設でした。

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第55回東方展

2022年2月6日
保護司会の先輩、加部東ひろみさんが出品している「第55回東方展」を観せて頂きました。

主催する東方美術協会は、昭和6年川端龍子画伯の青龍展の社人11名が集まり創立されました。

東方展は、第9回以降は公募により広く門戸を開き現在を迎えているとのことです。

加部東さんは、50号のふるさと新潟の春を描いた「残雪と桜」をはじめ4作品。
素晴らしい作品ばかりでした。

加部東さんの先生である高頭信子さんの「馬込九十九谷の今昔」(100号)は、山坂の多い馬込村をダイナミックに描いた、川端龍子を彷彿する作品でした。

高頭先生は、現在、大田区美術家協会会長を務めていらっしゃいます。

第55回東方展は、2月8日(火)まで大田区民ホールアプリコ展示室で開催中です。

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大田区立大森東小学校開校40周年記念式典

2022年2月5日
大田区立大森東小学校開校40周年記念式典が開催されました。

コロナ禍の中、昨年から延期されていましたが、6年生・5年生・4年生が参加して、小黒仁史教育長他限られた来賓が出席して開催されました。

残念ながら、1・2・3年生はリモートで各教室からの参加となりました。

私は、当初記念祝賀会の実行委員長を仰せつかりましたが、祝賀会は中止。

幻の実行委員長となりましたが、歴代のPTA会長を代表する形でスクールサポート大東の杉原義朗会長たちと出席させて頂きました。

横山校長稔校長は学校長式辞の中で、いつも朝礼で全校生徒と行われている「東小クイズ大会」を行いました。

現在の在席児童は144人ですが、最大949人となり校舎を増築したこと。

うさぎの大ちゃんや森ちゃんを皆で飼育していることや、学校農園の田んぼで毎年大東米を作り食育活動を行っていること。 

大きな校庭で遊び運動出来ること。
等クイズであらためて児童と振返りました。

その活動を支えているのがスクールサポート大東や町会や地域の皆様のお力です。
横山校長は、なぞかけで、
「東っ子と掛けて、この地域と解く。」
「その心は、とてもノリ(海苔)が良いです。」

そして、
「東っ子と掛けて、羽田空港と解く。」
「その心は、沢山の
期待(機体)が有ります。」
と締めくくりました。

五十嵐英之PTA会長からは、電波式時計と記念のクリアファイルが児童代表を手渡されました。

1番のプレゼントは、40周年を記念して創られた「はるなつあきふゆー40周年おめでとう」の記念歌です。

児童から大森東小学校をイメージするワードをたくさん集めて、音楽専任の岩本萠(めぐみ)先生が作詞作曲したものです。

コロナ禍でリハーサルが出来ず、ぶっつけ本番で披露された記念歌がユーチューブで配信されることが、サプライズで発表されました。

40年前、開校に向け協力された故田中安太郎大森東1丁目町会長はじめ関係者の方々も喜んで下さることでしょう。

小黒教育長も祝辞でふれて下さったように、これからも地域と共に響き合う「響育」。

児童ひとりひとりを大切にするアットホームで手づくりの「教育」を展開する大森東小学校を皆んなで支えて行きたいと思います。

とっても素敵な記念式典に出席させて頂き、本当に有り難うございました。

ふるさと石垣島から出席されることを楽しみにしていた元校長の上地先生が、石垣島でもコロナが増えており出席を見合わされたことは残念です。

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みんなに有り難うございます!

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2022年2月 3日 (木)

さようなら。石原慎太郎先生。有り難うございました。

2022年2月2日
石原慎太郎先生にお別れをして参りました。

「おい、ヨット乗りに行くぞ!」

今にも言い出しそうな清々しいお顔。

祭壇には、赤ワインが注がれグラスがお供えしてありました。

私が将来政治家を目指して、石原慎太郎事務所の門を叩いたのは23歳の時でした。

学生をしながら1年間書生の見分で働かせて頂き、何とか大学を卒業して正式な秘書となりました。

浜渦さんや栗原さん。
柳原さん。
といった大先輩に揉まれながら8年7ヶ月。
よく続いたと思います。

石原先生の随行をした時に、車の中で、
「あきまさ君、君は政治家を目指しているそうだが、日本を動かしているのは、ほんのひと握りの人間だ。そのひと握りの指導者を目指せ!」
とおっしゃいました。

又、ある時、
「あの区議会議員はどんな性格か」
と聞かれたことがありました。
私は、とっさに
「唯我独尊の人ですね」
と言うと、
「ほぅ、上手いこと言うなぁ。」
と、大いに笑われました。

今は、シャープな若手の区議会議員が大いですが、私が秘書時代はまさに梁山泊。
一癖も二癖もある様な猛者揃いでした。

私は、秘書をしている時、一度だけ辞表を書いたことが有ります。

私が準備してきた地区後援会の発会式に出ないと言うのです。

「そうですか!やってられないです。」

結果として石原先生は出席されました。

若気の至りでした。
国政の大事な予定が入ったのです。

それでも、私は間違ったことをしたとは思いませんでした。

地元を守っていたのは典子夫人と私たち秘書たちです。

私は、地域の方々に、一人でも多くの方に会って頂き「石原慎太郎の魅力」に触れて貰いたかったのです。

石原先生と会合に出る時は、いつも緊張しました。
地域はどういう状況でどういう問題点を抱えているか。
中心に応援して頂く方の名前や印象的なことを短く正確に話さなくてはならないからです。

平成10年東京都庁の前で行った最初の都知事選挙の第1声。

区議会議員だった私は、司会のマイクを握りました。

「国会議員が応援にみえても宣車に乗せるな!」

浜渦さんに言われてましたが、山東昭子参議院議員(現在参議院議長)がみえて、ひと悶着。

石原先生に「載ってもらいますか!」と聞くと、「乗ってもらえ。」と。

今日、自宅にお参りに伺った時に、山東議長がおみえになっており、何か因縁を感じました。

私の最初の区議会議員選挙(平成3年)の個人演説会。

「あきまさ君は政治家になるために生まれて来た男です!」
と応援演説をして下さいました。

「私よりも政治家に向いてるね!」とも。

会場からは笑いが巻き起こりました。
今でも忘れることが出来ません。

「東京から日本を変える!」

石原先生の背中を追いかけて都議会へ。

初議会で新人議員は議場で紹介されますが、石原知事にお辞儀した時、「頑張れよ。」と激励してくれました。
嬉しかった。

平成15年初当選から無所属1人会派だった1年間は、定例議会後の食事に呼んで頂きました。

一緒に頂いた中華料理。美味しかった。

あれから20年が立ちました。

先輩たちをはじめ、私達は身体をはって石原慎太郎先生を支えてきた自負はあります。

「石原慎太郎総理大臣が誕生していたら、日本はどう変わっていたのだろうか!」

夢のまた夢。

OpusONEを開けました。
石原先生との想い出に献杯。

今晩は酔わないですよ。

衆議院選挙が終わった最終日の蒲田の洋食店。

あなたは気に入ったワインが亡くて3回、私に酒屋に買いにいかせましたね。

「おい、あきまさ。これもダメ!もう1本買ってこい。」

あの声を、もう聞くことは出来ません。

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