大田区議会待遇者だより第32号
2022年8月17日
大田区議会から「待遇者会だより第32号」が届きました。
小原直美会長、松原忠義区長のご挨拶と続き、先輩方の近況報告があり、最後に私の拙文「石原慎太郎先生の想い出等」が掲載されていました。
皆様、お元気そうで何よりです。
そんな中、お若いお2人の待遇者(OG)が令和3年にお亡くなりになりました。
北澤潤子様(60歳)
野呂恵子様(67歳)
慎んでお悔やみ申し上げます。
近況報告(鈴木晶雅)
令和4年2月1日、石原慎太郎先生がご逝去されました。
享年89歳。
衆議院議員、東京都知事として大田区民とも深く関わりを持たれました。
私自身、石原先生の秘書を約10年務め、その後、大田区議、都議の仕事をさせて頂いています。
「京急の連続立体交差事業」は、亀井運輸大臣と西野区長と。
「ディーゼル車規制」は、トラック業界の浅井時郎会長と。
いずれもトップ会談を経て成し遂げてきました。
「挑戦的、時には傲慢で、傍若無人に振る舞いながらも愛されていた」と安倍晋三元総理はお別れの会で挨拶されました
言い得て妙。
いや、その通りでしょう
「光より速く」
求められると色紙に好んで書きました。
石原先生は、ご家族、良きスタッフと良き都庁マン、都議会与党、後援者に支えられ
「東京から日本を変える!」
様々な施策を実現しました。
そして、奥様典子さんの大きなサポートで、
「満足しうる人生」
を終えられたとだと思います。
石原先生が亡くなられた翌月奥様典子さんが亡くなられましたが、長男の伸晃さんは、
「父が母を呼んだのではなく、母が父を追いかけて行ったのだ。」
と述べました。
奥様は、
「主人は私にとって5人の息子のうちの1人のような人です。」
とよくい言ってました。
さて、6月6日松原区長は、40年越しの大田区の取組みである「新空港線(蒲蒲線)」の第1期(矢口渡から京急蒲田駅)の整備事業の都と区の負担割合に合意した旨を発表しました。
大きく事業が動き出しました。
2年に及ぶ区と都の負担割合等の交渉は真剣勝負でした。
大田区は今後、整備事業の主体となる第3セクターを立ち上げ、都市計画決定及び都市計画事業認可の後、特別区都市計画交付金の対象事業に出来るよう、都と区は調整を行うこととなります。
まだまだ正念場が続きます。
引続き松原区長を支え、2030年代の竣工開業を目指し全力で取り組んでまいります。
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